今年もあとわずかとなりました・・・

毎日の業務お疲れ様です。

ところで、忘年会のシーズンですが、みなさんは日々のお食事は美味しく召し上がれていますか?

みらい代表は大食漢にして食べ物の好き嫌いはほぼなく、なんでも美味しく食べられます。焼肉・ステーキ・生姜焼き・ホルモン・焼き鳥・牛丼・トンカツ、サンマ・ブリ・サバ・アジ、お刺身・寿司、なんでも好物です。

炭水化物は特に大好きで、ラーメン・カレー・チャーハン、ピラフ・・・書いているだけで食欲がわいてきそうです。

朝昼晩、美味しい食事にありつける、これも現在、特に持病もなく健康だからこそと思っています。

ところで日本人は食事をするとき、「いただきます!」といいます。通説では、「他の生命をいただきます」、という感謝の気持ちが込められた言葉であるといわれています。

人間は雑食性なので、肉にしろ魚にしろ、他の生命を殺生しなければ毎日の食事にありつくことはできません。これは菜食主義にしたところで、植物という他の生命をいただくことに変わりありません。

他の生き物を殺生してなければ、食事にありつくことができない・・・

この当たり前のことを、我々は普段感じることなく生きています。

牛肉や豚・鶏肉をいただくということは、どこかでだれかがと殺をしているということになる・・・

先日、偶然サイト(時々シュールな精進日々)を見つけ閲覧しました。同サイトにて紹介されている公益財団法人加古川食肉公社は兵庫県加古川市にある公営のと畜場・食肉加工場。見学できる数少ない施設とのことで事前に申し込みをすれば小学生から大人までと畜場見学ができるとのことです。

公社HPより

肉類をいただくということは、当然と畜という工程があることは理解していましたが、前述のサイトを閲覧して、その生々しさにいささかショックを受けましたので報告したいと思います。

ご興味ある方は是非ご覧下さい(大変刺激が強いので自己責任でお願いします)。

時々シュールな精進日和

いただきます絵本プロジェクト

施設内に建立された畜魂碑

毎年1回、畜魂祭が執り行われるとのことです。

サイトを見た率直な感想として、あまりの生々しさに衝撃を受けるとともに、さすがに牛が気の毒に思えました・・・

「牛、あるいは羊といった動物は、助けてもらえないとわかっているときに悲鳴をあげたりしない。
そんなことをしたら捕食者の注意をひくだけだ。
(中略)
家畜の牛や羊が忍耐強さをしめすのは、自分の負った打撃や苦痛を悟られないようにしているからだろう。
雄牛は、ほとんど表に出すことなく凄まじい苦痛に耐えている。
(中略)

「感情はあっても、騒ぎたてたりしません。いつも前向きで、驚くほど忍耐強い。
あんなに穏やかな動物はいません。そして忘れてはならないのは、大きな脳をもっているということです。」

もし牛が本能だけの動物なら、あんなに大きな脳は必要ないはずだ。
脳のしわやひだは犬よりも多く、人の脳とほぼ同じくらいである。(豚は月夜に歌う―家畜の感情世界より。)

この詩を読めば胸が痛くなりますし、本当に気の毒に思います。正直、人間に生まれてよかったと思いました・・・ですが、だからと言って菜食主義者になる気にもなれません。菜食でも、植物という命をいただいていることには変わりはないのだから。

家で農業をされている方ならご存知かと思いますが、例えば、田畑にロータリー(耕うん)をします。そうすると、カエルやタニシ・昆虫などたくさん巻き込んでしまう。田畑の周りの雑草を刈るにも、我が家の場合、自走式の草刈り機を活用していますので、たくさんのカエル・バッタが草刈り刃に巻き込まれ死んでいきます。アウシュビッツも真っ青です。草刈りをしていると、いつも申し訳ない気分になります・・・

かといって虫一匹も殺さないように細心の注意をもって作業をしたら、それこそ10aのほ場周りの草刈りでも1日中やっても終わらないと思う。なので多少巻き込もうが気にせずやってしまうほかないのです。

※コンバインで稲刈りをすると、大量のイナゴ・カエル・クモその他の無数の生物も一緒に収穫されます。ですからお米ができるまでに無数の命が犠牲となっています。

ですから菜食主義といったところで、穀類や野菜類も収穫までに至る間、たくさんの生命を犠牲にしていることには何ら変わりはない。牛も豚も、虫もカエルも命の重さという点で何ら変わらないはず、牛や豚だけかわいそうに思うのは偽善に思えてならないのです・・・

たくさんの命の犠牲から生まれた農産物、お米や・麦なりをわれわれはいただいているのです。

人間はなんて罪深い生き物なのか・・・ 毎日の食事はたくさんの尊い命の犠牲のもと成り立っている・・・

そうかといって、我々人間は食べずにいることはできない。食べなければ死んでしまう。

せめて我々にできることは、

①美味しく食事をいただくこと、

②極力残さずいただくこと、

それに、無数の命の犠牲のもと、今生きていることを自覚し、

③日々元気に生きていくこと、

それが最大の供養となると思いました。

と畜の現状は気の毒に思いましたが、これからも美味しく食事をすることにします。

自分の体の中に、無数の命が取り込まれている、命のリレーが行われている、日々生きて食事をすることにより、無数の生命体が自らの体に取り込まれ融合している、だとしたら、人生辛くとも生きて生きていきぬかなければならない。亡くなっていったすべての生き物たちのためにも、生き抜かなければならない。

死んでいった動植物の生命は自分の体の中で生き続けている、そう考えたら、気安く自殺なんてできませんね。

と畜があることは、おもわず目を背けてしまいたい事実ですが、食育の一環として、食のありがたみ・命の大切さを勉強するため、小中学生の学習にもよいのではと思いました。

 

今日も美味しくいただきます!感謝・感謝!