全国の陸海空自衛官の皆様、お疲れ様です。

本日は「戦争における人殺しの心理学」ちくま学芸文庫につきまして、いささか所感がありますので報告したいと思います。

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amazon.co.jp より

 

 

説明内容(「BOOK」データベースより)

本来、人間には、同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。それを、兵士として、人間を殺す場としての戦場に送りだすとはどういうことなのか。どのように、殺人に慣れされていくことができるのか。そのためにはいかなる心身の訓練が必要になるのか。心理学者にして歴史学者、そして軍人でもあった著者が、戦場というリアルな現場の視線から人間の暗部をえぐり、兵士の立場から答える。米国ウエスト・ポイント陸軍士官学校や同空軍軍士官学校の教科書として使用されている戦慄の研究書。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

グロスマン,デーヴ 米国陸軍に23年間奉職。陸軍中佐。レンジャー部隊・落下傘部隊資格取得。ウエスト・ポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授、アーカンソー州立大学軍事学教授を歴任。98年に退役後、Killology Research Groupを主宰、研究執辞活動に入る。『戦争における「人殺し」の心理学』で、ピューリツァー賞候補にノミネート

amazonにて書籍を探していた際、タイトルに興味を持ち購入し読了しました。すでにお読みの方もいらっしゃると思いますが、大変興味深かったので紹介いたします。

まずは目次の抜粋をご覧ください。

第一部 殺人と抵抗感の存在

第3章 なぜ兵士は敵を殺せないのか

第三部 殺人と物理的距離【遠くからは友達に見えない】

第13章 距離

第14章 最大距離および長距離からの殺人-後悔も自責も感じずにすむ-

第15章 中距離・手りゅう弾距離の殺人-自分がやったどうかわからない

第16章 近距離での殺人

第17章 刺殺距離での殺人

第18章 格闘距離での殺人

第19章 性的距離での殺人

第四部 殺人の解剖学

第20章 権威者の欲求

第21章 集団免責

第22章 心理的距離-「おれにとってやつらは畜生以下だった」-

第五部 殺人と残虐行為【ここに栄光はない。徳もない】

第六部 殺人の反応段階

第七部 ベトナムでの殺人

第八部 アメリカでの殺人

この本の趣旨を一言でごく簡単に説明すると、

「人は人をそう簡単には殺せない」ということです。

物々しいタイトルと裏腹に、戦場においても「人は人をそう簡単には殺せない」し、敵(的)に向かって発砲できないし、刺せないし、殺せない・・・

著者の体験、ベトナム戦争等従軍経験のある多くの将兵に取材した結果、以下のような知見が得られています。

すなわち、

・第二次大戦時の米軍では、8割から9割の兵士が敵に向かって発砲していない(敵兵を殺したくないためにあえてあさっての方向を撃っている)

・兵士は人を殺すことに強烈な抵抗感を持っていて、自分が殺される恐怖よりも自分が人を殺めてしまうことに心底恐れを感じている。

戦争のなんたるかは戦場経験がない私にはわかりませんが、兵士たるもの、洋の東西を問わず任務を遂行するための必要な義務(すなわち敵兵を殺すこと)を勇敢に、少なくともいやいやであっても責任は立派に果たしていくものだと思っていました。(映画や漫画ではそのように描写されています)

ところが戦場の実態はそうではなくて、ほとんどの兵士が、敵に向かって撃つことはできないし、刺せないし、殺せないとのことです。

この結論に私は驚きました。今まで人間はもっと残忍な存在かと思っていました。世界史を勉強すると、人は有史以来戦争を繰り返しており闘争は人間の本性なのかとあきれてしまう。ところが有史以来の戦争の実態は、蒼き狼・白き女鹿のモンゴル軍などの一部の例外は別として、多くの戦いではなるべく相手を殺傷しないように戦争していたとのことです。

人が人を殺せないことは、良心・モラル・教養・宗教観ということもあるけれど、それよりも根源的に、人は本能的に同族を殺すことに強い拒否感があるとのことです。

多くの兵士は極限状況に陥ってもなお人間性を失うことはなく、「万が一自分が殺されそうになっても、多くの人はなお相手を殺すことにためらいがある」とのこと・・・ちょっとびっくりするような結論です。人間は思っていた以上に善良な生き物だと知り大変感動・感激しました。

にんげんて、いいな! (みつをさん風)

一方で、20人に1人くらいの確立で殺戮になんのためらいのない人もいる。それは当然軍人としての責務を遂行するためだが、なんのためらいもなく敵兵に照準し発砲する。

ふーむ、それはそれで恐ろしいような気もするが、人が20人いたらそのうち1人は人を殺すことに何のためらいもない人ということになる、もちろん戦争のように殺人を肯定できる状況でということだが・・・私たちの身近にもいざとなればそのような人がいるのだろう・・・

逆にいうと、1個小隊30名いたとしたら、そのうち一人か二人しか正しく敵兵に照準し発砲していないことになる。他の兵士は目をつぶるように打っているか、なんとなく敵方目がけて発砲しつつも実際は当たらないように撃っているということになる・・・ すごい!ほとんどが役立たずだ!

以下、本文より、

「生まれながらの兵士」というべき人間は確かに存在する。男同士の友情、スリルと興奮、物理的障害の克服に大きな満足を覚えるような人間である。殺人自体好きなわけではないが、戦争のように殺人を正当化する倫理的枠組みのなかで行われるのであれば、~中略、殺人自体少しも悪いこととは思わないだろう。このような人間はだいだいにおいて軍に入隊する。そしてその多くは傭兵になる。平時の正規軍の生活は日々繰り返しで、かれらにとってあまりに退屈すぎるのだ。

「かれらにとってあまりに退屈すぎるのだ」気合入りすぎている人は皆辞めていきますよね、なんとなくわかるような気がします(笑)。

●ですが、このような人間は軍隊には是非とも必要な存在だとも思います。そうした兵士がいなければ戦争に負けてしまう。おそらく、大戦中のエースパイロット、ガーランド(独)、我が海軍の坂井中尉などはこのタイプか。攻撃精神横溢にして、大空に舞い上がり晴れの決戦を行う・・・

sakai_as_young_pilot「大空のサムライ」坂井三郎海軍中尉

パットン将軍や海軍のハルゼー提督や海兵隊のスミス中将(Howlin’ Mad)などの将軍・提督たちも非常に攻撃精神旺盛な性格だったとのことだから「生まれながらの軍人」なのか・・・

その他、本文中の記述の中で参考になった点として、

●退却のとき、敵に背を向けると、この時は躊躇なく撃たれるとのこと、古来戦闘時の死傷率は大方の勝敗の決した後、撤退するときの追い打ちで生じるとのこと

犬やクマも背を向けて逃げると必ず襲い掛かってくる、これは動物の本能か?

syokatsuryou_koumei教訓として、離脱時には敵に背を向けてはならない、強力なしんがりをおき敵に正対しつつ後退する。戦争は退却が一番難しいというが、三国志の諸葛孔明やドイツ国防軍のマンシュタイン元帥などはこの点、天才なのか。

 

●人は人を殺せないが、これが砲兵による間接照準射撃や、空軍による爆撃、海軍の砲撃や対艦ミサイルなど、相手の顔が見えない場合は割合ためらいなく任務を遂行できるということ

●兵士を発砲させるためには、オペラント条件付けという、実際の戦闘状況に近いシュミレーションを行い、完全武装でタコツボの中に立ち、前方に人型の的がさっと飛び出し、これが誘因となって発砲するよう訓練する、条件反射で撃てるようにするとのこと、

この訓練のおかげで第二次世界大戦以降のアメリカ兵の発砲率は劇的に向上しているとのこと、

●接近戦で敵兵を殺傷した場合、後で強烈な自責と後悔が襲ってくるようだ。夢でうなされながら、被害者に対して「ごめんな、ごめんな、あの時は仕方なかったんだよ」と・・・ 殺すほうも殺されるほうも気の毒です・・・

この点、ベトナム戦争では帰還兵に対して、国や社会がしかるべき清めの機会を与えなかったこと、このことが後に大きな社会問題を引き起こしました。

以下、本文より

「戦争は人を変える。戻ってくるときは別人になっている。そのことを社会は昔から理解していた。未開社会で、共同体に復帰する前に兵士に清めの儀式を課すことが多かったのはそのためである。これらの儀式では、水で体を洗うなど、形式的な洗浄の形をとることが多い。これを心理学的に解釈すれば、戦いのあと正気に戻った時必ず伴うストレスや恐ろしい罪悪感を乗り越えるための手段とみることができる。~中略~

そして、もう一つ、おまえは正しいことをした、社会はお前が戦ったことを感謝しているし、社会がお前の帰還を歓迎している、そう戦士たちに伝える手段だったのである」

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「勝利のキス」1945.8.14 NYタイムズスクエアで対日戦終結を歓喜

この看護師さん、今年の6月24日御年91才で他界されたそうです。

●その機会はベトナム帰還兵には与えられなかった、だから彼らは何のために戦ってきたのかさっぱりわからなくなってしまったのだと思われる。その結果、酒におぼれ、ドラックに手を出し、社会的不適合者と身を崩していく・・・

nigaoe_macarthurこの点、我が日本陸海軍の将兵も復員の後、そのような機会は与えられず苦しい思いしたのだと思う・・・兵隊の多くは召集で戦場に行ったに過ぎない名もなき庶民だったのに・・・

かくのごとく、人は人を殺せない存在だから、それでは戦争に勝つことはできないので、戦争指導を行うものは、何としても敵兵に対して憎悪を向けさせなければならない、

日本軍は、「鬼畜米英」といっていたし、アメリカ軍は「ジャップ」だとか「黄色いサル」などと言っていた。ベトナム戦争では、ベトコンは「生きる価値のない動物」と教えていたそうです。逆に言うと、そうでも教育しない限り憎むべき理由が見いだせずおよそ敵兵を殺傷することはできなかったということか。

●今、話題の次期トランプ政権の国防長官候補(16.12.5現在)、退役海兵隊大将のマティス氏がかつて以下のような発言をしたことが問題視されたようです。

「あなたがアフガンに行くと、ベールを被らないからと5年間も女性たちを殴りつけてきた連中がいる。あなたは、かような連中が男らしさのかけらもないということを知る。こういう連中を撃つことは非常に楽しい。実際、戦いというやつは楽しいんだ。こういう連中を撃つことは楽しい。正直、私は喧嘩好きなんだな」

マティス氏は、「狂犬」とも呼ばれているそうで、一方「将の将たる器」との高い評価もあるようです。

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ジェームズ・N・マティス英語: James N. Mattis1950年9月8日 – )は、アメリカ海兵隊の軍人。最終階級は大将 強そうですね!

発言当時(2005年)米軍はアフガンに展開していたから、海兵隊の指揮官たるもの、戦いにあたっては将兵の士気を鼓舞し、戦闘に正当化根拠を与える必要があり、あえて発言したのではないかと思われます。

「ベールを被らないからと5年間も女性たちを殴りつけてきた連中がいる」これが本当だとしたらちょっと許しがたいことですよね、憎むに値します。

「撃つことは楽しい」、ここだけを取り上げると文民からは不穏当に感じられるでしょうが、軍人は戦うことが本分ですから、大将からして戦意旺盛なことは国家にとってむしろ頼もしいことだとも考えられます。

●それとは別にいつも思っていることがあります。それは、戦争は凶である、悪である、ということです。

これは旧海軍山本五十六元帥の同期生、堀悌吉中将の言葉です。

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堀 悌吉(ほり ていきち、1883年明治16年)8月16日1959年昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人大分県杵築市出身。

同期生の山本五十六、後輩の井上成美からの信頼が厚く、山本権兵衛加藤友三郎らの系譜を継ぎ海軍軍政を担うと目されていたが、軍縮会議後の大角人事により中将予備役に編入される。

「戦争そのものは明らかに悪であり、凶であり、醜であり、災いである。しかるにこれを善とし、吉とし、美とし、福とするのは戦争の結果や戦時の副産物から見て、戦争実態以外の諸要素を過当に評価し、戦争実態を混同するからにほかならぬ」

また、

「およそ軍備は平和を保障するに過不足なく整備するべきである。したがって限度というものが存在するべきだ。すなわち国力に適合し、国際情勢に適応するものでなければならない」と・・・

以上、半藤利一「日本海軍の興亡」PHP文庫より引用

また堀悌吉中将は、

「国防は国力に応じる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の情勢において国防の本義なりと信ず。すなわち国防は軍人の専有物にあらず・・・」

この加藤友三郎提督の国防論の直系のまな弟子であったとのことでした。

nanmin_family_sad国防は軍人の専有物にあらず」、この言葉好きです。

先の大戦の惨禍に思いをはせるとき、日本国民の一人として恒久の平和を願わずにはいられません。いざ戦争が起これば苦しむのはいつも名もなき庶民たちです。

その反面、予備役とはいえ、日本の自衛隊の末端に籍を置かせていただいている身として、一朝ことがあったら、祖国の危急に微力ながらはせ参じたいと思っています。平和を念願しているけれど、平和を担保するための最低限の軍備は必要だと考えています。そのため平時は万が一の戦いに備えておかなければならない。

いくら兵器が充実していたとしても、戦うのはしょせん人であり、旺盛な戦意がなければ第二次世界大戦中のフランス軍のように強大な陸軍力を擁しておりながら、マジノ線にこもったまま打って出ようともせず、あっという間に国土を蹂躙されてしまった例もある。

話はだいぶ脱線してしまいましたが、はて、それはともかく、今まで考えたこともなかったけど、その時私は人を撃てるのだろうか?ちょっと考えただけで吐き気がするようだけど、隊員たるもの、いざという時を想定して考えておかなければならないのではないか?

いざというとき自分はどうするか?国土が蹂躙されているなら戦いやすいのかも?そういえば国土に敵を迎え撃ち逃げる場所のない北ベトナム軍は強かったと聞きます。そうだ自分が戦わなければ、仲間は死ぬし、住民は殺されてしまう・・・ そう思えば戦うしかないのか?・・・

にわかに結論はでませんが、戦争とは何か、また兵士たるもの正しい使命感、死生観を養うことが大切だと、今回紹介しましたデーブ・グロスマンの著「戦場における人殺しの心理学」は柄にもなくそのようなことを考えさせる1冊でした。

果たして自分は人を撃てるのか、大変重い命題ですが、自衛官たるもの一度は自らに問いかけ、整理しておかなければならない課題であると感じました。これは全自衛隊員にお勧めの一冊だと思います。

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なにより本書により古今東西「人は人をそう簡単には殺せない」ことを知り、とても明るい気分になりました。人間てそう捨てたものじゃない、全人類に対して、仲間意識というか、優しい感情が湧いてくるようなそんな気持ちがしました。

以上、とりとめもありませんが報告を終わります。

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人類、みな兄弟ですね!