行政書士事務所みらい代表は、元陸上自衛官です。
任期制隊員として入隊した私は、前期教育は第1普通科連隊(練馬駐屯地)にて後期教育は101測量大隊(東立川駐屯地、現在の部隊名は地理情報隊)、1任期2年間お世話になりました。
その後、永らく予備自衛官を務め、平成26年、長野地本のご担当者の熱心なお勧めもあり即応予備自衛官に志願し現在に至ります。
即応予備自衛官とは簡単にいいますとパートタイムの自衛官です。
所属の部隊は、第48普通科連隊(訓練出頭は松本駐屯地)、普通科といいますと旧軍でいう歩兵ということになります。
歩兵ですからいざ有事の際は戦闘地域に赴くことになる・・・
詳しくはこちらから⇒即応予備自衛官制度 陸上自衛隊HPより
ところで我が自衛隊は情報漏えいには非常に厳しく内部の情報を外部に発信する際は、予め許可をとらなければいけません。
現在進行形のことは話せないので、はるか昔、在隊していた折のお話を少ししたいと思います。
ご興味ある方は、少しお付き合い下さい。
そもそもなぜ自衛隊に入ったか
一言でいうと進学のため。大学進学するにも経済的に余裕がなかったから昼間働きながら2部大学へ通うため入隊した。もともと戦闘機とか戦艦・空母が大好きでミリタリーオタクだったけど、陸軍には何の興味もなかった(当時は熱烈な海軍ファンだったので、入るなら海軍さんと思っていた)。陸上自衛隊なら勤務しながら大学に通えると、募集担当者に口説かれて入隊を決意しました。
練馬の1普連は、当時2部大学に通う隊員が多かった。法政・国士館・中央など昼間働きながら夜学に進学するため入隊した隊員がたくさんいた。私もその一人でした。
前期教育の3か月を練馬で過ごした後、後期教育の任地は101測量大隊というところに決まった。というか、入学先が中大だったので学校に近い部隊に配属になることは入隊前からの既定路線?だったようです。
この101測量大隊(現在は地理情報隊)という部隊は陸上自衛隊の中でも、少し変わった部隊で軍用地図を作る部隊。一応、施設科ということでしたが、数度の改編を経て現在では情報科職種ということになっているそうです。
正門前。春は桜が美しい。
勤務のイメージ(HPより)。デスクワークが多い。「地図・航空写真Q&A」・「地図(図化)」
地図調整の工程を簡単に説明すると、国土地理院作成の地図を基本として、測量・空中写真を基に図化・編集作業を経て、製図・写真製版・印刷を経て自衛隊用の地図を調整する。自衛隊の地図はグリッド(方眼)が入っているのでこれを基に特科部隊は射撃諸元を算出する。また送電線・高層建物等航空障害を示しヘリボーン部隊等はこれを考慮し侵入経路等立案する。
~国土地理院中部測量部 資料より
上述はアナログマッピングの時代の地図調整方法で、現在ではJIS(地理情報システム)を基としたデジタルマッピングが主流と思われますのでこれとは異なる方法で行われていると思います。
私が入隊した平成4年の後期教育18名のうち、男7名、女11名?で女子隊員(内部ではWACと呼ばれる)の方が多い、とても華やかな部隊でした。
同期生の出身地は、上は青森・山形・福島・茨城・東京・千葉・奈良・福岡・佐賀・宮崎と全国各地から来ており、東北弁・関西弁・九州弁と、教育隊ではいろんな方言が飛び交い、とてもインターナショナル?な環境でした。
男は、人数も少なかったので仲が良かった。女性は、基本みな頭がよかったように覚えています。基本みんないいやつでした、意地悪なやつは一人もいなかった・・・
勤務中の写真ほとんど残っていないけど、同期生4人の記念写真。一番左端が私。警衛勤務中でしたが中隊の先輩が撮ってくれました。今思うと、退職した際に渡せるようにとわざわざ撮ってくれていたようです。
左から2番目が、Mさん。見た目も性格もキュートな同期生だった。頭もよく茨城県屈指の進学校から大学進学せず自衛隊に入隊しました。確か今も現役で関東某駐屯地で勤務しているはずです。
真ん中、右がSくん、奈良の山林王の子息で、ひょうきんな性格でみんなのムードメーカーだった。
一番右が、同じ中隊のSさん。山形県出身で、彼女とはとても仲がよかった(もちろん変な意味ではない、同期生として)。非常に朗らかな性格でなんでも話せた。
こちらは営内班の写真。真ん中が先任士長のHさん。奈良県のご出身で体も大きく、ボクシングで自衛隊体育学校に入校されていたが、性格はめったなことでは怒らない温厚な方で「仏のHさん」と呼ばれていました。いつも飲みや遊びや連れて行っていただき、特別に目をかけていただきました。
左のスタジャン兄さんが、一期後輩のSくん。身長も高く、ハンサムで運動神経がよく(ジェフ市原からスカウトが来た!?)、その上おしゃれときて、後輩だけどとてもかなわない新人だった。ギターもうまかった!彼に指導することなんか何もなかった・・・!
左端の青年はTくん。Sくんと同期生。千葉の豪農の跡取り息子。小柄だけど空手有段者。銃剣道も強かった。何より勉強家で中大経済学部卒業した後、学士入学で都内の工学部に入り直した、とても勤勉な後輩だった。
↑ みらい代表
営内班でヌンチャクを振り回す、完全にアブナイ人です・・・
所属は写真測図中隊の地図編集班というところで、正直言って仕事には当時そんなに興味が持てなかった・・・ 我ながら優秀な隊員ではなかったと思う。でも、課業後はとても充実していた。夜間訓練は率先して取り組んだ(笑)。班長・先輩・同期・後輩と散々飲み歩いた。パチンコ・スロット、飲み屋でお姉さんと意気投合したり、1年間の下っ端生活を我慢したら、一期後輩には雪のように白くてかわいいWACが入ってきた!・・・
毎日が新鮮でそれはそれは面白くてしょうがないという感じだった。勉強はほとんどせず、遊んだ記憶しか残っていない。
そんなこんなで、あっという間に1年と半分が過ぎ、継続するか退職するか決めないといけない時期がきた。もう一任期継続するかどうしようか迷ったが、結局退職することにした。辞めなくてもよかったけど、一度娑婆に出て違う仕事がしたかった。
退職するにあたって、営内班の皆さんは卒業旅行をしてくれた。行先は伊豆伊東だったかな?天城山でエンストする。冷却水が抜けていてオーバーヒートしてしまった!
退職時に頂いた記念品の賞状。金属製で重たい。今から考えると、このようなものが官費から支給されるはずはないから中隊の皆さんでお金を出し合い購入してくださったのだと思う。
陸上自衛隊は1任期満了をもって退職したが、海軍さんには未練がありこっそり海上自衛隊の一般幹部候補生試験を受験した。結果は不合格だった。無勉強だったので受かるわけがない。選択科目を法律にしたが、たしか民法の物権的請求権の典型的な論点だったと思う。今考えるととても平易な問題だったと思う・・・
その後、いろいろの職業を経験して現在に至る。予備自衛官として19年勤務ののち、平成26年、即応予備自衛官となった。
自衛隊は楽しかった。大変なこともいろいろあったと思うけど、今となっては楽しい思い出しか残っていない。辞めてわかる自衛隊のよいところ、退職者の多くが実感していると思う・・・
アメリカ海兵隊では「一度海兵隊員であったものは終生海兵隊員である、海兵隊員の誇りを持て!」と教えられるそうですが、予備自衛官・即応予備自衛官も終生自衛隊員として、一人一人が自衛隊と民間とをつなぐ「広報官」としての役割があるのかもしれません。
我々退職自衛官はいわば、民間にあって自衛隊の旗を掲げているようなものであり、何かよくないことがあれば、「なーんだ、自衛隊出身者ってたいしたことない!」と思われてしまう。そうなってはいけないので自衛隊の名を辱めぬよう、どんな分野のことでも一生懸命取り組んできた。その結果、多くの資格を得ることができ、現在ではその知識を活用してメシを食べている。
自衛隊は、やはり軍隊としての側面があるので甘くはない。厳しい環境である。でも、ただ厳しいだけなく、苦楽を共にした仲間との楽しかった出来事があるからこそ、退職した自衛官の多くが自分の自衛隊時代を懐かしむのだと思う。そこには確かな燃える青春がある!
規律や克己心、体を動かすことの楽しさ、自衛隊では多くのものを学びました。今の自分があるのも自衛隊での生活があったからと考えています。自衛隊には深く感謝しています。もう一回生まれ変わってもまた入隊したい。